みんなで守るべき宝
久しぶりにブログ書きます
今日、ラジオで鹿児島の4歳児虐待死のニュースを知りました
どうしようもない憤りを感じただけじゃ無く、児童相談所や市の対応に非難が集中している現実に、疑問を感じました
その事について綴りたいと思います
子どもは宝
昔から子どもは宝と言われます
その通りですよね?
子ども達が居なければ、誰が未来の日本を担うのですか?
綺麗事でしょうか
では、現実的に言えば
子ども達が居なければ、誰が年老いていく私たちを支えるのですか?
外国からいらっしゃった方に支えて貰うのですか
一つの方法として、それもあると思います。
しかし、それを繰り返して行けば、それはもう僕の知る大好きなこの国では無くなってしまっていると感じます。(※僕は、外国からいらっしゃった方を否定はしませんし、もうその方々の力を借りなければならないのは事実で、これから増えていくと思いますし、大切に思って居ますが)
僕が大好きで、大切に思っているこの国を未来へ繋げて行くのは、間違いなく子ども達です。
僕はこの国に住み暮らす以上、誰であれ子ども達を守る事は義務と思うくらいです。
どうでしょう
子ども=未来=宝
に、なると思いませんか?
僕の子どもの頃の経験
僕が小さい頃は良く、近所のおじさんやおばさんに声を掛けられ、可愛がって貰った記憶があります。
日頃の挨拶は勿論ですが、道端で色々な会話をした覚えがあります
思春期になる頃には、ちょっとばかしウザったいなぁって感じた事もありましたが
大人になり親になった今、その関わりがとてもありがたかったなぁって、振り返って思うのです
僕には、こんなエピソードもあります
あれは小学校1年生の冬、期末に通知表を先生に貰い下校したのですが、持ち帰り荷物が重たくて、手提げの紙袋に通知表など入れて雪の上を引きづって帰ったんです
家に帰り、手提げ袋を見たら底が濡れて大きな穴が…
通知表はぐちゃぐちゃでした
それを見た母親に、閻魔大王バリの勢いで叱られ(実際、閻魔様にお会いした事はありませんが…)
「あっ、このままだと殺られる」って感じて、雪の降る夜に家を飛び出したんです。
寒かったなぁ、
泣きながら近所の家の資材小屋に入って、神社に行って神様に謝って、また資材小屋に戻って…
そのうち、やっと帰ろかなってなったんですが帰り辛い
トボトボ雪道を歩いて居ると
偶然通りかかった、隣のおじさんが車で拾ってくれました
そして、おじさんの家では泣きじゃくる僕に何も聞かず、暖かいラーメン🍜を食べさせてくれました
それが、すんごく美味しかった
そして、やっと落ち着きました
その後、おじさんは僕の話を聞いてくれて
大丈夫!困ったらおじさんがいるからねって言ってくれました
しばらくして、おじさんは僕のうちに連絡してくれて、父と母が迎えに来ました
その時なぜかおじさんが、父と母に謝っていました
「連絡遅くなって、ごめんなさい!
そうちゃんの事怒んないでやってくれ
俺が勝手に連れて来ちゃったんだから」と
僕は守られました
そして、家に帰ると母が僕に「ごめんね」と一言謝ってきた事を覚えています
後から聞いた話では僕が居なくなってから、家族中で雪の中を探しても見つからず、警察にも連絡しお世話になりました。お騒がせしました
ありがとうございました。
何が言いたいかと言うと
それくらい近所のおじさんやおばさんは、僕を守ってくれました
とても
とても
ありがたかったし
心強かったです
鹿児島の4歳児虐待死の報道
死亡の女児、保育園を休みがち 夜に1人で歩き4回保護 鹿児島 - 毎日新聞
今日、夕方のラジオニュースで、初めてこの事件を知りました
同時に、市や児童相談所の対応が問題視され
批判を集めている事も知りました
確かに市や児童相談所の対応には、問題もあったかも知れませんが、そこに責任を押し付けたところで亡くなった璃愛来(りあら)ちゃんは帰って来ませんし
この鹿児島で改善が図られたとしても
今後また同じ様な事件が全国のどこかで、起きてしまうのでは無いかと僕は心配でなりません
僕からの提案
人を批判する前に、まず自分から変わりませんか?
みんなで、子どもを守りましょうよ!
近所のお節介、おじさんやおばさん増やしましょうよ
まずは、朝とかの挨拶でいいと思うんです
おはよう!
こんにちは!
こんばんは!
出来ますよね?
で、あれ?いつもと様子が違うなぁって感じたら話を聞いてみればいいと思うんです
みんな万能な人は居ません
親も同じです
間違う事もあります
でも、犠牲になるのが子どもばかりなのは
もう、やめにしませんか?
みんなで守ろうよ!子ども達(未来)を